アダルトチルドレンサバイバー備忘録

一般人の中に紛れ込む病み(闇)人。主にメンタルのことを好き勝手に徒然と書いています。自分の為に、家族の為に、ずっと自分自身のカウンセリングを続けています。

思い出される思いやり

最近繰り返し見ている動画。

私は誰を頼ることも出来ず、助けを求めても振り払われて自分でやるしかないという選択肢の中で育ってきた。

そのことが今の生活の中で支障のある形であらわれてしまい、ネックになっている。

 

どうせ誰も助けてくれない

自分でやればいい

わざわざ人にいうこともない

 

という秘密主義を作り上げ、結果まわりから孤立して自分だけが大変さを抱え込むという人生を築いてしまってきた。

 

カウンセリングを受け始めてからは徐々に生きづらさは無くなってきたが、根本のゆがみはそう簡単に離れてくれない。

 

家族関係や仕事の面で、そのゆがみにより問題が起きてしまってもなおやめられない自分、人を信用せず自分の意見が正しいと思い込んでやまない自分がいる。

 

そのさなかこの動画をみて涙が頬を伝った。

厳しい言葉の中に、優しさがある。

 

見ながら私の中で過去に経験してきた思いやりを持って接してくれた人のことを思い出していた。

その人がいなかったら小学生時代の私は、もっと心を閉じていたと思う。いや十分に閉じていたけど、更に閉じてたんじゃないかな。

身内でもない、父の職場の友人のおじさん。母を亡くしたことで打ちひしがれていて私のことは眼中にない父親より、よっぽど思い入れを持って接してくれたおじさん。

私の闇を感じ取っていたんだろうな。

 

私にも思いやりを持って接してくれた人がいたことを時折思い出すことはあるけど、ここまで深く思い出せれたのは、この動画を見たから。

 

ぜひ、おすすめしたい。

そして感想をお聞かせください。

www.youtube.com

見た方のご意見ご感想をぜひ聞きたいです。

みなさんにはこの動画はどのように映ったのか、お話してみたいです。

コメントお待ちしています。

 

 

続き

前回の記事を書いてから色々と思うことが出てきた。

 

私は相手に期待をしすぎていた

私はそもそもいつも甘やかしてた

私は良い先輩の仮面を被り続けていたかった

私は相手が理解できるような伝え方をしなかった

私は途中経過を都度確認しなかった

私は自分ばかりが大変で相手を見ようとしなかった

私は常々に責任感を持つための指導をしなかった

 

書いていて、これって子どもに対しても同じじゃん…とウッとなる。

 

やっぱりね。

 

どちらかが100%悪いなんてあり得ない。

私にも非はたくさんあった。

これぞアダルトチルドレンの被害者意識よ。

やっちまってるね、自分。

 

もっとコミュニケーションをとること

相手を見ること

目先の逃しより先を見て、どうなるのがいいかを想像して指導をすること

その結果良い人の仮面を剥がすことになっても受け入れること

仕事を振って終わりにせず、途中経過を注視し、相手にも報告するよう指示をだすこと

甘やかすのが優しさじゃない自覚を意識すること

 

…これも子どもに対してと同じだね

 

さあがんばろーか、自分

自分に返ってくる

退社した人が数名。

引継ぎや今抱えている仕事を終わらせるように指示してきた。

退社後に蓋を開けたら中途半端なものがたくさんあり、それにすぐ気づけばまだ良かったものの、放置されていることを知ったのはしばらく経ってから。

 

私は瞬間湯沸かし器になり、家に帰ってから

ふざけんな!とひとりで叫んでしまった。

 

あまりにも責任感がない。

後の人のことを考えていない。

自分さえ良ければいいのか。

 

怒りが収まらず沸々とする。

でも、退社した人がいようといなかろうと顧客側には無関係だから、やることはやらねばならぬ。

こっちの負担がどんだけ増えると思ってるんだと怒り心頭。

 

ご飯を食べてしばらくたち、お腹も満たされると少し冷静になり、

自分も若い頃はそうだったよな。。。と過去を思い返す。

 

その場から逃れたい、もう関わりたくない

そんな思いから辞めたくなることは何度もあった。

小心者だし実際に逃げることはなかったけど、でも心の中は逃げたくて仕方がなかった。

 

なんで自分ばっかりと常に思っていて、被害者意識がいっぱいだった。

今回やめた彼らも、いつも愚痴ばかり言っていた。

私も愚痴るけど、私の場合は相手に認めてもらいたくて必要以上に仕事を引き受けてしまうという癖から忙しくなって、結果たくさんのことを抱え込んでしまうのに

なんで自分ばっかり!が発動しての愚痴なので、辞めた子たちとは意味合いが違う。

 

彼らはZ世代的な、もともと必要以上に仕事を引き受けず自分に負荷がかからないようにしていた。それでも愚痴はつきなかった。

 

私も彼らも両極端でありつつも不満が多かったところは同じ。

彼らは放棄して去る、私は抱え込んで限界になる、という違いだけ。

 

しかし頭にくるものは頭にくる。

電話してふざけんなと文句を言いたい。言わないけど。

 

私のこの怒りは過剰すぎるようにも思う。

そんなもんだよねと切り替えられない。

なんでも押し付けられ誰も助けてくれなかった何十年前の過去は

今でも場を変えこうやってつらさをアピールしたくなる。

 

本当に怒っているのは誰に?

自分に問い、答えをわかっていながらも過去に対してよりも目の前の彼らに怒りが湧きたつ。

 

責任って持たなくてもいいのかもしれないけど、私は持てるようになりたいし

持ちながら生きれるようになりたいと思う。

だから彼らに怒りが湧きたつことで終わらせない。

 

とはいえ、あったまにくるものはくるしね。



ちょっとオカルトなこと

ここ1~2か月仕事が激務で心身ともにヘトヘトになっている。

セッションやメンタル仲間に話を聞いてもらい、少しずつ自分を休ませるようになってきたものの、辞めるなり働き方を変えるなりの改善はしなければいけないと思いつつ、日々が過ぎてしまっている現状。

 

先日も、身体がキツいということで早退した。

そのまま帰っても、ただ横になってダラダラtiktokをみたまま寝てしまい気づいたら時間が経ってしまった…という予想が付いたので、近くの緑豊かな公園で森林浴をしてから帰ろうという発想に至り、セブンでホットコーヒーを買いに公園へ向かった。

 

公園へ来たものの、なんかしっくりこない。暑さもあったのか物足りなさがある。

 

そういえば、この近くにもうひとつ公園があったな、あそこは確か捨て猫も多く、運が良ければネコちゃんに会えてナデナデできるかもと思いつつ移動した。

 

その数分の移動途中で私は思いだす。

10年以上前、手紙を残して行方不明になった身内を探しに、私はここへきたと。

教会があって、もしかしたらここに入り込んでいないだろうか

猫が好きなので、この公園にきていないだろうか

 

そんなことを思いながら探したことがよみがえってきた。

でも頭がぼーっとしている私は、そんなこともあったな~くらいの意識しかなく、そうこうしている間にもう一つの公園へ付き、車を駐車した。

 

車から降りてあるこうと10歩くらい歩き始めた時、これ以上進みたくないといや~な気持ちになってきた。景色がグレーがかってきた。恐怖。

 

早く車に戻りたい、いやせっかく来たんだから中に入ってからにしようか

と一瞬だけ決めかねたが、なんとも言えない気持ち悪さがあって、結局Uターンして変えることにした。

 

あの時、心身がつらく、仕事も減ることがなくて疲れているから効率が悪くなっていて、そんな時に帰ったらいっときは楽だけど明日また大変になるからやってられないという思いがいちばん強かったと思う。

最初にいった公園の方で、歩きながら涙が流れてくる、そんな状態だった。

 

なぜそんなに自分を追い込んでいたんだろうと整理をしようとブログを書くためにデスクに向かって思い出したこと。

あれはいつだったか?とカレンダーを見ると身内の誕生日の日だった。

 

むりやりこじつけてるととらえることも出来るけど、私はひっぱられていたものがあったんじゃないかと思っている。

 

私を負へひっぱらせようとしたというよりも、誕生日を知らせたいという思いだったのかもしれないし、そもそも亡くなっている人のことなんてわかんないからただの推測だけどね。

 

でもあの日、なぜ私はあの人が未遂を犯したあの場所へいこうと思ったのか。

見えない何かにひっぱられたのか、自分から近づいていったのか。

どちらにせよ私はかなり追い込まれた状況にあったんだと思う。

 

あの時、そのまま公園の内部に進んでいたら、私はもっと病みメンタルへ突き進んだ気がしてならない。

 

すべてをオカルト現象に結びつけるのはどうかと思う反面、いや説明しきれないことも世の中にはあるよね。

音楽を聴いて泣くこと

音楽を聴いて泣くことがある

恥ずかしいのであまり人に話してきたことはなかったけど、そんなに珍しいことじゃないのかなと思い始めている

 

私は、歌詞をあまり聴かないし覚えないので、適当に歌詞を付けて何となく歌っていると、子どもたちにそれは違うと指摘されることがよくあった

それくらい歌詞はどうでもいいもの(ごめんなさい)で、メロディや音で音楽の好みがあるんじゃないかと思う

 

秋川雅史さんの この道

イルディーボの タイムトゥセイグッバイ

美輪明宏さんの 愛の賛歌

 

これらの曲をテレビだったか動画だったか、初めて聞いた時に頭と胸が熱くなり涙がツーっと流れてきて止まらなかった

歌が魂を浄化するってスピリチュアルな話もあるけど、それなのかどうかも分からない

自分の精神状態が感傷に浸りたい時だったかもしれないしね

アダルトチルドレン特有の陶酔なのかもしれないしね

 

先日、メンタルを共に学ぶ仲間と雑談した時に、やっぱり自分は音楽が好きな部類に入るんだなと改めて感じた

 

たしかに小さい時から音楽が傍にあった

母親がよく鼻歌をうたっていた

どこに出かけても父親の車の中では音楽が流れていた

家の中ではビートルズが流れていた

兄と流行りのレコードを買いに行った

レコードを磨くのが好きだった

学生時代は、自分で音楽をセレクトしたカセットを友人に配っていた

 

家族が機能していた時期に音楽が身近にあったんだなと

 

 

最近は、藤井風さんの音楽を聴いてひとりツーっと涙を流す

みんなもそんなことあるのかなー

あるよね

うん、あるよ きっと

自己修正、自己修正

このお盆休み、やることはいっぱいある。
その間で子どもが戻ってくることは嬉しい反面、時間がとられてしまうという両極端の気持ちもあり(でもなんだかんだ嬉しい)どうやってやることを組み立てようかと考えながら過ごしている。

 

しかしやってくる。
ヤツはやってくる。

自分の心の中に根づく別のものに没頭して逃避するという癖が。

 

やりたくないこともやらなきゃいけないから、そりゃあ逃げたいよね。

と頭でわかっててもやる方向性にいけない。以前やっていたゲームのX垢に入れないかとパスワードを再設定してみんなのタイムラインを眺めたり、別のゲームをしてみようかとsteamで無料ゲームを探したり、あとは動画をエンドレスで見続けたり。

 

どんどん出てくる。やらなくてもいいのに没頭してしまうことが。

わかっちゃいるけどやめられないってヤツがやってくる。

 

今日から自己修正だよ。

がんばれ自分。

今じゃなくて、先をみるんだ自分。

どんな自分になりたいのか、逃げるままの自分でいいのか。

 

あーーこんな気合をいれることを書いても言葉だけになってしまいそうだけど。

そんなこんなで没頭と陶酔のあいだをいったりきたりしながら

時々は現実に戻って仕事をしているこの連休。

メンタルがギリギリの毎日

一般の人たちならやっていけるのかもしれないけど、私にはキツい。

 

毎日がパニックとの戦い。

セッションで自分の癖を言われるならまだ受け入れられるけど、いやでもそれもキツいけどね…

リアルでも指摘されるのはもうほんとにどんよりする。自己否定感が半端なく襲ってきて、退職代行モームリに頼んで仕事をやめようかとさえ思う。

 

今週は毎日お持ち帰り作業だった。これは仕事量が多いからというより、遅いから。

私は仕事をこなすのが早いと思っていた。でも一般の中では果てしなく遅い。

遅いと思うと焦りが生じてさらにミスる。

その結果お持ち帰り作業となる。

 

もうすべてから逃げたい。

鬱になった時もこんな感じだった。毎日が苦しかった。なにもしなくても泣けてきてた。

 

何でもひとりで抱え込んでしまうところはあの頃と変わらない。

 

でもなぜ今はやっていこうと思えるのかというと目的があるから。あと、理解して応援してくれる人がいるから。それだけ。

 

相手の欲するもの、楽しいと思えることを考えられ、提供できるようになりたいから。その修行としてやっているだけ。そしてそれをメンタルの仕事に活かしたい。

 

そのために持ちこたえているだけ。でもギリギリの状態だから壊れて退職するかもしれないし先のことは何ともわからない。

 

きっとこんなこと一般の人たちはそつなくこなしてるのかもしれない。私は大袈裟に受け取ってるけど、さらっとできる人はできるのだろうと思う。

 

アダルトチルドレンにはキツいんだわ。なにかひとつやるにも先読みしたり、妄想が入ったりで脳が疲れるからね。

 

被害者になりたい。その方が楽だから。相手を悪者にしていられるんだもん。

ただ私は目的のために動く。それだけを考えていくしかない。

 

でもキツいよ😢