先日、メンタル仲間と通話した際のことを整理。
アダルトチルドレンのあるある話をしていて、みんな家の鍵と車の鍵をかけ忘れたり、かけ忘れていなくても、忘れたんじゃないかって不安になって戻ったりする、
もしくは本当に忘れていて玄関に鍵がささったままのときもある
などという話をした。
あーあるよね~という感じで話は流れていたが
私はというとこの部分に関しては忘れるということはなかったのでみんなとは違うんだと思いながらきいていた。
通話したその日のことを思い出しても
朝、出かける時に鍵をかけたことを思い出せるし
駐車場に車を止めた時、帰ってきた時、どれもその場が頭に浮かんでくる。
私の記憶の中にしっかりと残っている。
家を出る際、車の乗り降りの際に「戸締りをしよう」という目的があって鍵を掛けるということを実行している。
つまり意識がどこにも飛んでいないということ。
自分が成長したとかそういうことじゃない。
他の部分で意識が飛んでることはいっぱいある。
なんなら車を運転している時に頭は別のことを考えていて道を通り過ぎることは普通にあるしね。
たまたまその部分に関しては意識が飛んでいなかったというだけのこと。
でも仲間たちとの会話の中で、今にいないという感覚はつかめた。
これがセッションで言われることだったのかと納得がいく。
意識が今にあるから私は自分の行動とその時に「とじまりをしよう」という目的がしっかりと記憶にあるし、話せといわれたら話せる。
意識がなければ記憶にないし話すこともできないもんね。
幼少期のアダルトチルドレンの記憶が欠如していたり、薄かったりするのはこういうことかと、点と点がつながった。これを私たちはセッションで言われ続けてきたんだと。
セッションで
おーい、どこにいってるんだ~
戻ってこーーーい
って言われてハッとなっていた時は、やばい指摘されてしまったっていう受け取りになってたけど、実際に私はどこかへ飛んでいたのを戻してもらったに過ぎない。
今回の雑談通話の中で私はつながる発見ができた。この感覚を忘れずにいたい。
今にいる感覚がわかれば、意識が飛ぶ瞬間も分かってくる。
くりかえしくりかえし、それを取り戻し刻み込んでいきたい。