母の日に なぜか赤いカーネーションのブローチを分けられる。
今になって考えると、カーネーションって母親に贈るものなのに 何故子供が胸につけなければいけないのか疑問。
当時はそんな疑問を持つこともなく分けられたカーネーションを胸に付ける。
クラスで私だけが白いカーネーション。
どうして?
お母さんがいないから。
今の小学校ではそんなことありえないだろうな。
父兄からクレームが来ること間違いなし。
今でこそ母子家庭や父子家庭は少数ながらも珍しくはない。
その当時は少なくともクラスには私以外にはいなかった。
新幹線が開通し、田中角栄が日本を盛り上げた昭和の高度成長期時代。
誰もが未来を夢見ていた幸せな時代。
そんな中、ひとりの女の子の悲しさなんてちっぽけなものだ。
先生は当たり前のように私に白のカーネーションを渡した。
私は当たり前にそれを胸につけた。
つけたまま下校した。
途中で、白いカーネーションをつけたひとりの男の子を見つけた。
同志がいた。
彼は、なぜブローチを外さなかったのだろう。
そして彼も私に対して同じ疑問を持っていたかもしれない。
私はなんにも考えず ただただ、言われるがままにしていただけ。
それでもみんなとは色の違いで明らかに区別というか差別をされていることは気づいていた。
怖いお母さんでも、会話が持てないお母さんでも、その時だけはすごく恋しかったんだと今になって思う。
トボトボとしたを向き歩く私がそこにいる。
さみしそうに歩く小さい私を抱きしめてあげたい。