中学生時代、写真を撮られることが大嫌いだった。
集合写真にすら映るのがいやで、カメラマンがシャッターを押す瞬間に横を向いたり、前の人の影に隠れたりした。
卒業アルバムに先生たちが私の写真がないと困っていたことを思い出す。
体育大会や水泳大会、遠足や修学旅行のイベントで私がにこやかに写っている写真がないと言っていた。
自分が生きているようで生きた感じがなかったから、カメラの方を見ようとしても目に力をいれて見つめることが出来なかった。
自分の体が自分の思い通りに動いていない違和感があった時期だった。
常に自分の体が膜に包まれている感じ。
だから見えるものすべてがフィルターを通した感じで薄かった。目に見えるものに厚みや重みが感じられなかった。
自分の手足が自分の意思で動いているような感じもしなかった。
自分であって自分でないような感覚。
なかなかうまく説明ができないけど離人感のある方ならわかってもらえると思う。
いつから写真が嫌いだったのだろう。
小さい頃の写真はいっぱいある。
まだ、父も母も健在で幸せに包まれていた頃なのだろう。
写真の私はぬいぐるみを抱いて嬉しそうに笑っている。
どの写真も幸せそうに笑っている。
天真爛漫な子供に見える。
しかし、現実には幼児でありながら母からの支配に自分を持てない日々だった。
兄は兄で父からの躾と称した暴力を受けていた。
そんな現実が写真には現れない。
目に見えるものがすべてじゃない。
学校の集合写真だって、いじめる子もいじられる子も同じライン上に写っている。そんなことが納得できなかったのかもしれない。
写真はウソの幸せを作ることができてしまう怖いもの。私の中にそんな概念が少しずつ出来上がっていた。
いまだに写真を撮られることが苦手。
子供たちは軽い気持ちで写メを取る。
いや~ヤメて~!!
携帯を向けられるとビビる私に子供たちは笑う。
私のリアクションが面白いらしい。