ご存知の方も多いのでは
遥か昔、手塚治虫氏のマンガでこのような話があったような気がする
テレビのドキュメンタリー的な番組でも時折見る
そして、見たり読んだりしていると、自分と重ねて受け止めてしまう部分がある
私は小学生低学年くらいから卒業するまで、養育者がいない環境だった
父親はいたが、酒に溺れていて私は放置状態
小学校は行っていたけど、半分不登校みたいなもん
朝、起きて身だしなみを整えて、食事をして、一日の終わりにお風呂に入ってお布団で寝る
そんな当たり前のことが出来てなかった
歯はいつ磨いたかわからないで虫歯だらけ
下着は変えずに何日もはいていた
当時は自覚が無かったが、人との接し方が分かってなかった
話しかけられると
何でアンタと話さなきゃいけないの
そんなの私にカンケーない
てなことを言っていたと、親しくなってから聞いて愕然としたことがある
こういうことは中学生になってもあった
目つきもかなり悪かったらしい
人は疑うものと認識していたんだろうか
こんな感じだから、だんだん周りが遠ざかる
ひとりでいる事を選ぶようになる
伯母に引き取られて、人らしい生活を何とか送れるようになった
それでも、私にとっては ひとりの方が居心地がよく、伯母の家でもそれを好んだ
働くようになって自立するまで、結局 伯母の家での生活になれることはなかった
それでも人間性の深い伯母と従姉妹たちに支えられたから何とかやってこれた
伯母に引き取られてなかったらどうなっていたんだろうと考えると、ここで狼少女が脳裏に浮かんでくる
引き取られてるのがあと2~3年遅かったら、自堕落な生活の方が心地良くて伯母の家を飛び出したような気がする
親元に帰ったのち、また山に戻ってしまった狼少年の話をテレビで見た
お菓子がなくても、毛布がなくても、山が恋しい気持ちが分かる
それを乗り越えてでも、人間として生きて行こうとやっていけるまでになるには、やはり【愛】なのだろう
狼に育てられた姉妹を引き取ったのは、たしか教会の夫妻だったと思う
愛が姉妹に人間になろうとするチカラをくれたんだろう
私も伯母たちに愛をもらっていたんだろう
気付かないだけで、そこに愛は存在するんだと 最近思うようになった
母も私に対する愛はあったのだろう
それは母を赦すという次元のことではなく、ただ、事実としてあったということ