アップしてない記事ありました。
3ヶ月くらい前にかいたもの。
本当の罪悪感というものは
「悪かった」と思うくらいのものじゃないんだろうなと
何となくは思っていたけど、深く考えることもなかった。
テレビで、事件を起こした人がカメラを睨んでいるところが写り
この人は、捕まってしまったことが損したかのように
みっともないかのように、そんな風に私からは見えた。
この人は、自分の行動に罪悪感がないからこそ
自分本位の態度を出していられる。と思う。
悪かった、申し訳なかった
という気持ちよりも
どうして捕まってしまったんだ
こんなはずじゃなかったのに
という自分を守りたい気持ちの方に向いてしまっている。
今から30年位前、私は自転車泥棒をしたことがあって
むかーし、そのことをブログに書いた覚えもある。
その時は
気を惹きたくてそんな行動を起こしてしまったとか
兄は怒鳴って殴るばかりで、なぜ私が泥棒してしまったかを何も聞いてくれなかったとか
盗んでしまったのは仕方がなかったんだ、私はそうするしかなかったのに、というような記事を書いた(と思う)。
そこに罪悪感は何にもなくて
盗まれた人の気持ちは考えたことがなく
大泣きはしたものの
あれは相手に申し訳ないという涙じゃなく、バレてしまったから泣いてどうにかならないかとごまかした涙だった。
盗まれた人は私と同じ年位の女の子。
大切な自転車だったのかもしれない。
だから被害届を出したんだろうし。
無くなって困って、あちこち探しまわったのかもしれない。
鍵をかけなかったことをお母さんに怒られたかもしれない。
自転車がなくなって不便な思いをしたのかもしれない。
私は盗まれた相手のことをこの30年間、考えたことがなかった。
悪いことをしたとも思ってこなかった。
それよりも、そんな黒歴史は子どもにバレんようにせんとって思ってた。
自分本位の考え方。だから罪悪感は全然ない。
この出来事だけじゃなくて
自分が悪いことをしたと分かってないけど
周りから見たら、ありえないってことをたくさんしてきたんだと思う。
自分が被害者になるってこういうことなんだ。
だから平気で人を傷つけて、それでも自分がひどいことをされたと思い込んでる。
子どもは私が大好きで、私に怒られても怒られても、私のために
私が喜ぶことをしてきてくれたんだと思う。
そのしてきてくれたことをなかったことにして、自分が被害者になり
全部を子どものせいにしてきている。
良くしてもらったこと
大切にしてもらったこと
それを分かってない状態でいるのが自分にとって都合がいいのだとしたら
いつまでたってもここから抜けられない。
子どもとの関係も変わらない。
被害者でい続けたかったら、罪悪感も分からないってこと。