幼稚園の頃の記憶です。
当時は45リットルの蓋付きポリバケツを
ゴミの収集場に出していました。
たぶんですが、紙のゴミは家庭で燃やし
生ゴミを出していたんたと思います。
母が言っていた
あんたたちの好き嫌いが多くて、
生ゴミをこんなにたくさん出しているのはうちぐらいだよ
恥ずかしい!
という言葉が、私の記憶の中に残っています。
残すことへの罪悪感は、その頃からあり
でも、痩せていて食の細い私は
全部食べきることは出来ませんでした。
給食のパンを持ち帰るのは、嫌なことでした。
不平を言われるのが分かっていたからです。
私も同じことをして、白米ぎらいな子どもたちに仕立てあげました。
白いご飯を食べなきゃ力が入らない!
ご飯があってのおかずなんだ!
と小さな子どもたちにいい続けてきました。
当時の我が家は、坂道の途中にあり
ゴミの収集場にはでこぼこの坂道を下らなくてはいけません。
ゴミ箱をひきずっては底に傷が付くので、持ち上げての移動です。
体力のない母にとっては、大変な作業だったと思います。
私達きょうだいは、
重いゴミ箱を持つのが大変だったっというつらさを
ごはんを残し生ゴミをたくさん出すあんたらが悪いと
すり替えられ、八つ当たりをされてきたんだとにらんでいます。