私は「待つ」ということをしたことがないのでは?
と振り返っています。
嫌なことを先延ばしすることはしてきていても
自分の意志で、先を見て今は待ち時だと判断し、
それまで待つということをしてきていません。
どちらも同じように時間の経過をたどることですが
その先は真逆の結果になるように思います。
目先の問題だけにとらわれ、
または目の前の不安を払うための行動を選択し
未来を見た選択をしてきませんでした。
相手を見ずに自分本位の行動のために
待つということをできませんでした。
私にとって「待つ」は、苦痛でもどかしいものなのです。
学校を休みがちな、うちの子供のことで
今朝、学校の先生と話をした時に
「待つ」という言葉は使わないものの
子どもさんは前よりも少しずつ動いている
まだ行ったり来たりすることもあるでしょう
慌てずに様子をみていきましょう
と言われました。
私が、待てずに焦っていることを察知して
言葉をかけてきたのかもです。
待つこととは
その人を信頼することであり
受け入れることなのかなと思います。