アダルトチルドレンサバイバー備忘録

一般人の中に紛れ込む病み(闇)人。主にメンタルのことを好き勝手に徒然と書いています。自分の為に、家族の為に、ずっと自分自身のカウンセリングを続けています。

心配という名の奥にあるもの

ある方の闘病ブログを毎日チェックしています。

 

表面的には、「心配」「見守りたい」という意識をもっていまして、その気持ちに自分でも疑いはありませんでした。

 

新しい記事がアップされると、すぐに見にいくという監視状態です。

そしてホッとする自分。

 

もし状態が悪くなっていたり亡くなってしまったら、私はきっと泣くでしょう。

 

知り合いでもないのに、なぜなくほどまでに入れ込むのか。

 

 

泣くことで過去を再現し、その状態に浸りたい自分がいるからです。

 

ここまで分かっていたらやめられそうなものですが、それができない私は、その状態に留まりたいからなのだろうと

これもまた、推測の域でしかありません。

 

毎日ブログを訪れて、その方の病状を確認し

亡くなる時がきて自分が悲しみに浸って泣きわめきたいのを今かと待ちわびているような気がします。

 

失礼なことだと思います。

病と闘っている人をだしにして、過去のかわいそうな自分に浸りたいという私。

 

でもどうしてそのような失礼なことをしてしまうのか。

30代で亡くなった母親に重ねてしまっています。

過去の悲しみを出せなかったことで、自分の中で終わりに出来ていないからだと、これも分析にすぎません。

 

 

長々と書いてしまいました。

分析であったとしても今の自分の状態を知りながら、その方の更新された記事を読むことをしていくことをします。