結婚生活をしていた時、元夫に
お前はどうしたいんだ
ということを言われる時がありました。
何か意見を求められた時だったのでしょうが
なぜ、そのようなことを聞かれるのか意味が分からず
また、自分がどうしたのかも特に思い付かず
あなたや子どもがしたいことが、私のしたいことだと
その時の私は、自分が心底そう思ってるつもりで、答えていました。
元夫は、溜め息をついてその場から離れた記憶があります。
通じないんだとがっかりしたような、むなしいような、感じを受けたのかもしれません。
私の方は、突然問い詰められた感を持ちながら自分なりに答えたのに、どうして納得してくれないんだろう
私にどうしろというの?
と、元夫に喧嘩を売られたように受け取り
不機嫌さを顔にだして、相手を悪者にしていました。
納得できず、困惑していたのは元夫の方だったと今になり思うところです。
私の態度や言葉の端々から、遠回しな私の願望が漏れでていたのを
元夫は分かっていたからこそ、本音を言えよと、
気持ちを聞いてくれようとしていたのだと思います。
その時の私は、自分の意思を持つことを放棄して、人に決定をゆだねる方が
楽だと感じる生き方をしていました。
楽なのは、その時だけで
表に出さなかった自分の意思は、心の中でくすぶり
タイムラグを起こし、ある時に違うやり口で周りに知らしめることをし続けてきました。
自分の意思がないなんてことはない。
今までの思考の癖で、意思が分からないってことはあると思います。
でも、自分が分からなくても周りにはバレているのが意思や本音なんだと思います。
自分の意思が分からないとき、周りから自分がどう見えているかを考えてみるも、ヒントが出そうです。