いぜんの職場の仲間と、晩ごはんを食べにいってきました。
その内のひとりは、明るく元気で
かといって無理ポジのいい子ちゃんでもなく
時折さらっと笑顔で毒舌を吐く、50代のおばちゃんです。
久しぶりに会って、家族の話を聞くと
自分自身も、同居の家族も、大きな病気をして、今も治療中ということで、大変そうに見えました。
私が彼女の立場だったら、泣きたいくらいの気持ちになると思います。
ってか、絶対泣いてる(^_^;)
何で自分ばっかりこんな目に会わなきゃいけないのと嘆き
でも人に頼れず、一人で抱え込んで余計辛い状況に持っていってると予想します。
彼女になぜ悲壮感がないのか、
会話をしながら観察してみましたが
たぶん、、、としか言いようがないですが
置かれた状況は受け入れつつ、その事に被害者意識は入っていないから??なのかなあと思います。
置かれている状況に迷惑をこうむっていることは、文句を言ったりしてますが、一回一回完結しているように見えます。
我慢しているようすがありません。
思ってることをはっきり表現していて、すがすがしい。
そこに、誰かのせいという訴えのような言葉は出ず、聞いていても負荷がないです。
こちらの話すことも、
歪んでとらえず、そのまま受け取ってくれます。
だから、話しやすい。
一緒に接していて、楽しい。
一緒に働いていた時は、仕事の出来る彼女に嫉妬したり、自分の立ち位置を奪われる妄想が入り、彼女のことを知ろう、見ようとしていませんでした。
数ヵ月に一回会う今になって、彼女のことを知ろうというか、興味が出てきています。
それも、回を増すごとに。
また、
私にとって、職場というものは
自分を保つための場所なんだということも、彼女に対して自分が持っていた思いで分かってきました。
職場は、私の優越感を満たす場所であり
それがおびやかされると、辞めたくなるというパターンが過去にあったんじゃないかと。
なので、今の職場のA さんに対する否定感は、
自分より出来の悪い人間の存在が必要な
自分の優越感を感じるためのものだったんだろうと思うところです。
そして、そのA さんと
今日会った彼女(B さんとします)の
違いも分かってきました。
A さんは、いつも被害者意識の中にいる、
他人のあら探しをして、それを話している、
肝心な自分の気持ちには無感覚。
仮にB さんが、A さんの状況に置かれたとしても、周りのせいにする言葉は吐かないだろうということ。
それに、そうならないよう自分を追い込むことはしないだろうと思います。
A さんに対しての、そういう引っ掛かる部分が不快ですが、同時に
自分の方が優れているという気持ちにもさせてくれる部分でもありました。
Bさんとまた会っておしゃべりしたいです。
今まで、もう一人の仲間を介して連絡をとっいたので、直接やり取りすることはありませんでした。
でも、今日は家に帰ってから
おしゃべり楽しかったね
また美味しいもの食べに行こうね
と自分から素直な気持ちをLINEで伝えました。
自分を閉じるよりも、開いていく方に向いていきます。