アダルトチルドレンサバイバー備忘録

一般人の中に紛れ込む病み(闇)人。主にメンタルのことを好き勝手に徒然と書いています。自分の為に、家族の為に、ずっと自分自身のカウンセリングを続けています。

自分と向き合うこと

TOKIO の緊急会見の中で


自分と向き合うこと

という言葉が何度か出てきた。
無期限謹慎のメンバーに向けて。


以前の自分であれば
これって、どういうことだろうかと
意味が分からなかった。

自分と向き合うっていっても
自分は自分で見れないし
でも自分のことは自分が分かってるから
このままでいいんじゃないの~
となっていただろう。


しかし、この会見を見て
どうやら自分と向き合うということは
分かる人には分かることで
普通にそれを日常でやっていることらしい。


また、
そうすることを勧めるということは
相手を思う気持ちがなければ
出てこない言葉のように私は思う。


記者会見は
それぞれが思っていること
感じていることを、包み隠さず
と、まではいかないにしても
上っ面の会見ではないように見えた。

謹慎メンバーの存在を認め、
責めることよりも、心情を理解しつつ
かといって依存心を持つこともなく
自分達がどうあるべきかという軸を持ち
家族や同志のような立ち位置として
被害者への償いの気持ちを表現していた。

会見をした4人は
やりきれない、どうしようもない
でも救いたい気持ちもあり
悲しみや怒りの混ざった
混乱した状態に自分がいることを把握し

それでも自分が被害者意識に入らず
事件の中の被害者や当人の心に
共感しようとしている言動が大人であり
責任を負う姿のように見えた。

だからこそ、謹慎メンバーに
自分と向き合うことを勧めたのだろうか。


自分に疑問をもち
自分を知っていくことは
目を背けたくなるときもある。

背けようとしている自分がいることを
分かればいいけど、
それすらも認めたくないときもある。

私も、何度も逃げ出してるし
今も無意識で
背けてるものがあると思う。

謹慎メンバーも
お酒というツールで逃し、ここまで
しのいできたのかもしれないが
それも出来なくなり八方塞がり。
向き合うのに丁度いい環境になったともいえる。


被害者に謝罪すること
自分と向き合うこと
を見守る責任があるというようなことを
太一くんが言っていた。

私は、子どもたちに
そういう思いを持ったことがない。
自分が何とかしなければと
待つことをせず、本人の自力を奪い
自分の不安を解消するための依存の方向に
行ってしまっている。

私より若い
TOKIO のメンバーたちの
太い軸を見させてもらった。

ちょっと美化しすぎたかな


また、この苦しみの状態の中に留まらず

今できることは何か
これからどうしていくのがいいのか

と、葛藤しながらも
未来を見ようとしているところに
ほんと、なんというか
人間の強さのようなものも見させてもらった。