アダルトチルドレンサバイバー備忘録

一般人の中に紛れ込む病み(闇)人。主にメンタルのことを好き勝手に徒然と書いています。自分の為に、家族の為に、ずっと自分自身のカウンセリングを続けています。

分けて聴く

人の話を聞き、心を打たれて涙ほろりとなる時って

本当にその人に共感してるのかというと

そうじゃない場合もあったりします。


今日、ある人の切ない話を又聞きしました。
話を聞きながら、私はその人に感情移入して泣き出してしまいました。

でも

実際には感情移入なんてしていません。
会ったこともないですから、知らない人の気持ちが分かるはずがありません。


じゃあ私はどうして泣いたのか。


似たようなシチュエーションの自分の過去の出来事に重ねていたようです。

その過去の出来事が、私にとって「切ない」事だったから
今回聞いた話も「切ない」話として受け止めてしまっていました。

一緒に聞いていても「切ない」フィルターがない人には
切ない話として聞こえていませんでした。


これは、自分が過去に経験した切ない気持ちがあふれでてきたとも言えますが

別の見方をすると

今、目の前で聞いている話に乗っかって
過去のかわいそうな自分をアピールしているともいえます。

私の過去と目の前で聞いている話は、全く別のことなのに
分けることが出来ず、一緒になってしまいました。

私は、その人に共感したのではなく
過去の私の出来事を、泣くという手法で訴えたかったようです。

泣いてまでアピールしたかったのは
過去の思いを出せてなかったからで
その時の切なさを思い切り感じて出せていれば
人の話に乗っかって出すことはなかったかもしれません。


自分の感情をその時々で感じられれば
あとに持ち越すこともなく

人の話もその人の話として分けて聴けるようになると思います。

自己憐憫に入っている最中は、自分の状態に気付きにくいですが

今回の私のように、泣いていることに違和感を感じた時は
自分を知るチャンスです。


これ、私のやりがちな事でもあるので
忘れずに書き留めておきます。