アダルトチルドレンサバイバー備忘録

一般人の中に紛れ込む病み(闇)人。主にメンタルのことを好き勝手に徒然と書いています。自分の為に、家族の為に、ずっと自分自身のカウンセリングを続けています。

卒業式に思う元不登校児の親として

桜が満開の季節

1年の内、たった1週間の出来事に、我々日本人はとても大きく反応する

卒業、進学、進級
社会人であれば、就職、移動・転勤の辞令など
短くも華やかな桜の開花は、人生の転機に相応しいなぁと思うところでもある


10年前のこと、私は子どもの卒業式に行った時のことを思い出した


子どもに対する思いも薄く、今以上に自分のことしか考えていなかった私だったが、それでも初めての子どもの中学卒業式ということで、その姿を見に行った

卒業生が全員で壇上に立ち、歌を歌う場面の時、我が子は泣き出してしまう

こちら父兄側を向いて歌っているので、我が子の泣いている姿はモロ見え状態
誰も泣いていないのに泣きじゃくってる娘に

どうして泣くの…と、冷ややかでこっぱずかしい感じでいると
我が子につられて、ひとりふたり泣き出して、大半の子が泣き出してしまう現象に、うちの子が発端になってしまったという恥ずかしさもあったように思う

そんなことも忘れて10年経った


あの年の1月に、私は離婚した
記憶が薄く時系列がはっきりしないが、その年に私は鬱で入院をし、前年に実兄も亡くし、混乱の中だった時期

丁度、子どもが中学3年で進路を決める時期
オープンスクールを一緒に行ったり
塾の送迎をしたりした覚えはあるが、相談を聴いたり、一緒に考えることがなかったので、子どもからしたら寄り添って見てもらった感覚はたぶんない

今の家庭の状態で、高校生になって環境が変わることに、見えない大きな不安があっただろうと思う

慣れ親しんだ、小学生からの友達に囲まれた環境はなくなってしまうという安全な居場所の喪失

お母さんは、また鬱にならないとも言い切れない

入学予定の高校は私立、経済的にもどうなるのかという不安

そして何より、それらを吐き出せる場が娘にはなかったことがしんどさを増していたのではないか

私の勝手ながらの推測に過ぎないので
子どもからしたら、違った言い分があるかもしれない
いつか、それらを聞けるときが来るように私は日々過ごしていかなければと思うと共に

私自身はどうだったんだろうと振り返ると、重なる部分がある


私は中学3年の時に父親を亡くした
娘は「親の離婚」
私は「アルコール依存症」からくる肝硬変
理由は違うが喪失したという部分では同じ


父親の葬式の少し後
親戚の家で、みんなに内緒で養育者に呼ばれ、中学を卒業したら働くように言われた

今、思うとひどい話
学校の先生に相談をするという意思すら無くなっていて、私は働くしかないと自分でも決めていた

ところが兄が、妹を高校に進学させてやってくれと訴えたことで私は進学出来ることになった
そこは本当に良かった


当時、私は塾に行きたかった
勉強をしたかった、でもお金がかかることで言い出せなかった
挑戦してみたい学校もあったが、絶対に受かると言い切れる自転車で通えるところに絞り受験した

誰にも相談できず、すべてひとりで決め、周りの友達がみな併願して余裕のあるような様を羨ましく見ていた

受かった時も、周りの友達がはしゃいでいる中で私は喜びもなく、ただただ安堵感とこれからアルバイトでお金が稼げるということを考えていたように思う

あの頃、私は喜んだり悲しんだり
そういったことを出していなかった
日々がしんどすぎて、何が起きても驚かないくらい感覚が麻痺していた


我が子はどうだったんだろう
いろんなことを相談したくとも、お母さんは聞いてくれる状態じゃない
そもそも相談することをあきらめていたかもしれない

でも、あの卒業式の涙
顔を真っ赤にし、しかめて泣く姿
ふだん、感情を封鎖していたような娘が卒業式で号泣したのは、卒業する事への感慨深い涙だけではなかったんじゃないのかと考えて直している

見てくれないお母さんへの嘆き
離婚で離れてしまったお父さんの喪失感
先々への不安
そんな中で必死に生きてきた自分の大変さ、惨めさ

それらが、卒業式という場で中学3年間を思い巡らした中で、内側から噴き出して来たのかもしれない…と思わなくもない


真実は分からない
私がを全く見ていなかったという事実が紛れもなくある、ということ

思春期の反抗期を出す環境にすらない、娘の苦悩

私自身もそうだったということ
私が、当時のつらさを感じられてこそ娘の気持ちに心から寄り添えるのではないだろうか

寄り添う振り、理解した振りは子どもは見抜く

振りをすればするほど、子どもを理解することから遠ざかる、たぶん


子どもたちも成人し、今思うことは
原因探しをしても解決しないということ

これからどうするか
子どもたちの生きづらさを解消するには、やはり親の影響力が大きいと思う
そのためにも自分自身が変わっていくこと

難しいんだけどね
でも、難しいけど不可能ではない

自身が変わり、家族が変わる、そういう先を行く方々を見てきている
その姿は励みになり、自分の指針にもなる


今回、その娘が遠方から地元に戻ってくる
そして、第2子が自宅から巣立つ
来年は第3子の進路が確定する

その関係で子どもたちと話すことも増え、今回のことを思い出したのかもしれない


今まで、それぞれの節目の時期に何も対応出来なかった自分だった
繰り返すのか、自分に出来ることは何なのか、
日々問いながら進まなければならない