アダルトチルドレンサバイバー備忘録

一般人の中に紛れ込む病み(闇)人。主にメンタルのことを好き勝手に徒然と書いています。自分の為に、家族の為に、ずっと自分自身のカウンセリングを続けています。

父親との関係

父は私のことを大好きだと思っていた。

確かに小さい時は可愛いがってくれていた。

母親が死んでからは違う。
私のことを利用していた。

先日、出かけた先に
父親が入院していた病院がたまたまそばにあった。
30年以上振り。
田舎なので、道路も変わらず当時の状態に近かった。

中学生だった私が、自転車をおして
長い坂道を登り、毎週土日に会いに行っていたことが具体的に思い出された。

暑い時期、制服を着てセミが鳴く中を
汗をかきながら山を登った。
学区外は、制服を着て出掛けなければいけないという決まりを守っていた。
真面目だったんだなという思いと
それ以外に着る服が無かったんだろうとも。

山の上に病院はある。
父親は、私が来る頃に玄関の外で待っていた。
その父親の姿を見上げながら、近づいていった。

父親の笑顔が嬉しくて、そのために行っていたようなものだったが
逆を言えば、父親の悲しむ顔を見たくなかったから行っていたともいえる。


母親が死んで
兄は母親不在の家から離れて行ったので
父親は、私をそばに置いとくことで
まだ何とかあの状態を保っていられたのかなと思う。

たくましかった父親が、メソメソなく
弱々しい人になってしまった。
私がそばにいれば、多少元気でいられる。
子どもながらに、父親を守りたかった。

それに対して父親は私を見ようとせず
自分の思い通りにならないと
力ずくではなく、憐れさを使って私を動かしていた。

私は私で、たくましいお父さんに戻って欲しいという企みがあり
その為ならと、父親の誘いに乗ってしまっていた。

父親の世話をしていたことは、
学校で誰に話すこともなく、親類の家で
その事を労ってもらえることもなかったので
セッションを受けるまで他人に話すことはなかった。
ある意味、私と父親の秘密の花園だったといえる。


父親は、死ぬまで私を見ることはなかった。
死ぬ1週間くらい前だったと思うが
私のことを、自分を苛める鬼だと言ってきた。

あれだけ尽くしても、父親には思いは届かず
父親の世界は変わらないままだった。

父親が死んで安心した気持ちがあったのは
変わらない父親を見なくてすむからだったのかもしれないと最近になり思う。


父親と築いた依存関係が
今の私の人間関係の基盤だと思っている。
でも、これを再現し続ける必要はない。

お互いの利益のもとに築く依存関係は
どちらか悪いとかはないと思うけど
お互いを窮屈にしていくだけなら、そうじゃない方を自分で向いていくしかない。

お父さんに見てほしかった。
お母さんを亡くした悲しみを受け止めてほしかった。
たくましいお父さんでいてほしかった。