最終回の最後の10分くらいから号泣。
泣くといっても自分が何かに重ねてたのか
もしくは主人公の気持ちに入り込んでいたのか
明らかに自分に重ねてたからなのだけど。
景色に色がないと言ったあの子の封鎖された感情。
アダルトチルドレンが持つ自分が分からない、表現できない感覚。
脚本家はそこまで考えて作品を作っていたんだろうかと
良い意味で洞察力にゾッとするような凄みを感じた。
私を含めた心に痛みを抱えてきた仲間たちは、とあるカウンセリングルームで自分と向き合うことになった。
それを続けて10年の月日の中で、カウンセラーさんに助けられながらも自分というものを確立させてきた。
この歪み多きアダルトチルドレンを忍耐強く長い目で、私たちが楽になっていくようにずっと見守り、支え、時には叱咤激励し、前に進むように共に歩んできてくれた。
それはドラマの中で九条先生が生徒に寄り添う姿と重なった。
見た目や性格は全然別だけど、いつも真剣に相手のためを思って行動するところは重ねざるを得ない。
みんなが変化していく中で変わらない自分を嫌悪する最終回の男の子。
それは、私を含めカウンセリングルームの中でも時折り起きてきたこと。
いじけて自分を責めることで自分を保つしかやり方がわからなかった自分を見ているようだった。
死んでしまったクラスメートの机へ日々花を飾ることは、ただのきれいごとではなくて、その行いでそれぞれの生徒の心に過去あった出来事が忘れることなく刻まれていくことであり、そのことをみんな意識しながらやっているように見えた。
私は、過去に自分がされてきたこと、してきたことを都合よく忘れて来てしまっている。そのことがセッションで話にあがり、自分史を書いていったらどうだろうかということでやり始めた矢先だっただけに、自分の歴史を包み隠さず自分自身に刻むという部分に強く惹かれた。
されてきた被害者でもあり、してきた加害者でもあり
それをカウンセリングで拾ってきてもらいながら自分の景色に色を付けてきたことを私は忘れてはならないと、そのあたりから涙が頬をつたいはじめた。
心に痛みを抱える方は、ぜひ見て頂けたらと思う。
自分と向き合うという、それが気恥ずかしいと思う人からしたらクサイことだけど、でも大切なこと。