私のために、言いにくいことを言ってくれてありがとう
という思いに駆られた時がありました。
本当だろうか。
相手は「私のために」「私を思って」ひどいことを言ってきたのだろうか。
本当に嫌だったから、嫌だったことを強く言ってきているのだとしたら
すり替えて「私のために」というキラキラした言葉で美談でまとめようとしているだけで
相手の言葉を受け取らなくて済む方法を使っているだけ。
そうしておけば、本質を見なくて済むし、自分は痛みを伴わないでいられる。
変わらないでいられる。
「私のために」なんて、相手がしてくれたに違いないと思い込むより
自分が自分のために、自分を知って変わっていけばいい。
思いのたけをぶつけてきた相手は
当人から「ありがとう」と、トンチンカンなことを言われ
伝わらないことにがっかりするのか、怒るのか
無力を感じるのだろうと思う。
こういうことを私はしてきたのかと、昨日思うところがあり、
とはいえ、これからの自分の言動が、本当に分かっているかを表すのでしょう。