何度か職場のことを書いてきた
Cさんに対してはずっと怯えてきた
今でも大きな声を出しているのを聞くとスイッチが入る
先日、そのCさんのことについて
Aさんといろいろ過去を振り返る会話をした
私とAさんは、上司であるCさんに以前はかなり怯えていた
特にAさんは、Cさんに怒鳴られることが多く
私は、怒鳴られないよう顔色をうかがい、怒鳴られているAさんを見ては「自分はそういう要領の悪いことはしない」という
Cさん側に取入る手法を使って怯えから逃れてきた
どちらかといえば私のやり方の方がいやらしいと思う
どっちも同じなのに、私が自分の方が怒鳴られない分だけ優れているような錯覚を持って自分を保ってきた
そういう私の見下した態度は、Aさんに伝わっていたと思う
お互いにけん制しあうような感じで仲良くはなかった
Aさんがミスして怒鳴られているのを見ると快感のようなものもあった
一緒にかかわる仕事が増えてきて、怒鳴られるのを避けるために少しずつ協力しあうようになってきた
そのような中で、Cさんの愚痴を言い合って
Cさん対策を練ったり、お互いの家族の話をしたり、少しずつ関係性が近くなっていき
Cさんに怒鳴られようとも、会社に来るのが苦痛じゃなくなってきた
どなられた後、お互いに吐き出してお菓子を食べて笑って、という時間を共有できるのは大きい
Cさんは、とにかく声が大きいのと
相手があいだに言葉をはさめないほど早口で話す、有無を言わせない威圧的なところがある
Cさん本人がどれだけ自覚しているのか不明だが、聞かされた方は何も言えなくなってしまう
仕事とは関係のないプライベートなことを持ち込んだり
労務的に問題のあることなど
今考えると、いやそれはないだろう、おかしいだろうってことも
当時は分からず、いや分かっていたがそれを断ることができず
意見を言ったり拒否する意思をもがれた状態にあった
誰もいなくAさんと二人だけの時間の時に
あのころ、どう考えても普通じゃないのに、どうして私たちは疑問に思えなかったんだろうね~
私たちは感覚がマヒしていたと、自分の内側を向く話を二人でした
威圧的な態度に怯えが入るのはあるかもしれないけど
怯えることで、その人の本質が見えなくなってしまっていた
という言葉は、会話の中で使わなかったけど
見せかけの鎧に騙されてしまったね~という話をしたので、なんとなく分かり合えた感があった
メッキはいつか剥がれる
紆余曲折ありながら、メッキであることに気づき以前ほどの怯えは減ってきたけど
できれば最初から「メッキ製品」という認識をもって関わっていけたら楽だろうと思う
そのためには、怯えに入っている自分と
その時の自分の思考は、怯えを逃すものではないかという意識
そして、その怯えはどこからくるものなのか
そこまで解明してみたい
またAさんとの関係性も、出会った当時を考えるとこれだけ変化するとは思わなかった
人と関わることで、嫌な思いをしたりで感情が揺さぶられることはあるが、その関わりも時間と共に変化するということを知った
もっと若いうちから経験してきたかった・・・けど人と楽しく関われなかったので、まあ仕方ない
まだまだAさんに対してさえも、怒りスイッチが入ることは普通にある
相手をやなやつにして終わりにすれば楽だけど、私の中に反応する何かがあるということでもある
そこは逃さず、しっかりと捉えて関わっていきたいと思っている