職場に税理士の方がこられ、色々と話をしたあとに声をかけられた
私の仕事の出来具合の評価と、それに対する先方の仕事のしやすさを誉めてくれたように受け取って聞いていた
その場では、はいとしか言えなかったが
税理士の方が帰ってから嬉しさがじわりと込み上げてきた
普段、上司にちょっとしたミスを取り返しのつかないかのような言われ方をされ
それが初めてのことで、学びながら覚えていくしかないようなことでも、言い訳にもならず
時には
コイツに何を言っても伝わらないとあきらめて自分をおさめたり、逆に分かっていても煮えたぎる思いが止まらなかったりしていた
同僚と愚痴を言い合って、一時的にストレス解消できても、そのうち見下した相手の批判になり悪口がエンドレスになっていることに意味があるのかと思い始めている矢先でもあった
税理士の方の言葉かけに強く反応していた自分
これを求めていたんだなぁと思う、ずっと。
何を頑張っても報われず
ただやる気を削がれるだけの日々
それでも仕事はやらなければならず、やりたくないことを無理にやっているので
いかにサボろうかということを考えることが多くなった
つまり、自分がどんどんずるくなっていった
いつか、誰かに分かってもらえる
なんてことは思うこともなく
自分がやりたくてやっているんだ
という確たるものもなく
アホらしい、むなしい、でもやらなきゃ
という思いがあることも放置して目の前の仕事を背けがちになり、サボっては別のことをして得しているつもりでいた
人はこうやってやる気をなくしていくんだと。
私も、子どもたちも、こういう感じで
人生のやる気を削がれてきたのかと、ふと。
自分を見てくれて時にはねぎらいの言葉をかけてもらうことがこのように心に染み入るものなんだと考えさせられる
私はどのようなことをして、子どものやる気を削いできたのか
私はどのようにして、誰に意思を削がれてきたのか
けなされ罵倒され、自己否定が強くなり
やる気が無くなるのは、人間として当たり前のことなんだと思う