私は源家族全員を亡くしている。
その影響を大きく受けて多数派ではない環境で育った。
ネグレクトもあった。暴力もあった。
経済的困窮もあった。
自分の心が壊れるのも無理はなかったと思う。
そのような中で、なぜ私がここまで立ち直り
今を生きて行けるようになったのかを考えると
人との出会いがあって、その出会いを継続してこれたことだと思う。
私側の方では粗末な扱いをしてしまったり
自ら関係性を切ろうとしてきたけど、相手が根気よく付き合ってくれたり、首の皮一枚で繋がってなんとか付き合いを続けてこれた。
その中で、温かさ、優しさ、優しさの中にある厳しさを感じて、少しずつ自己肯定感を高めていった。
話せばきりがないほどの人との出会いがあった。
その中で、自分のなじみの感覚に居続けさせてくれる人も多くいた。
劣悪な環境の方が自分にとっては居心地が良くて、無意識でそちらを選択していた。
それに気付き、心地よい環境へ引っ張り出してくれる人がいても、抵抗したりあがいたりして、元の場所へ戻りたくてたまらない時期もあった。
人によって傷つけられてきたけど
人によって助けられてもきた
より良い環境へ変わると、まず戸惑いがおきる。
裏があるに決まっている
甘い言葉で陥れようとしている
自分の心は常に疑心暗鬼がベース。
それだけ裏切られたり放置されてきたんだろうなぁと今は分かる。仕方のないことだった。
それが過ぎると、ある時から自分に疑問を持ち始める。
もしかして、そんなこと思ってないのかも?
私の妄想?
妄想かもしれないと思っていたことが、そうだったと確信できたら
今度は自分を責める方向へ入る時があり
ここを行ったり来たりするように。
そこで
気付くのは、それぞれの世界があるんだということ。
劣悪な環境にいた時は、周りはそのような人達ばかりがいた。
いろんなもめ事やトラブルがあり、それで誰かを非難したりすることが普通。
世界は、こういう人達だけてしか構成されていないくらいの感覚でいた。
より良い環境へ変わっていった時、私は最初驚きがあった。
なんてみんな真面目なんだろう。優しさを持っているだろう。責任感もあってすごいなぁと。
でも、彼らにとってはそれが普通で、無理をしている訳でもない。いや、無理をしていることはあるだろうけど、時には無理をすることも必要ということが普通の認識としてあるような感じ。
そして、その世界にいると、そういう人達からしたら劣悪な環境にいる人達の犯罪めいた行為はあり得ないこと。
このようなことは知識として知っていたし、そりゃそうだろうと分かっていたけど
目の当たりにして、まざまざとその違いを体感した。
優しい人なんているわけないって思っていたのは私が作っていたこと。
世の中辛いことしか起こらないと思っていたのは私が作っていたこと。
セッションで思い込みを作ってるのは自分自身だと何年も聞いていたけど、こういうことなのかと。
私を見続けてくれたのは
「あなたの心を守りたい」
というカウンセリングルーム。
ここがあったから、今の健全な職場も少しずつ居心地よく思えるようになってこれたんだと思う。
病院の、がん治療に疑問を持ち民間療法に走ってしまったけど、エビデンスのある治療に戻ってこれたのも同じ。
これも言い出せばきりがない。
環境さえ変われば良くなっていくのかといえばそうではない。
心の仕組みを知り、相手との信頼関係を築く中で、誰にも話せなかった過去を話して分かち合ってもらうことで現実を受け止め
さらに記憶を取り戻す中で、自分がされてきたこと、逆に子ども達にしてきてしまったことを認め、そのような自分を受け入れることで、バラけた自分をひとつにしていくこともしていかなければならない。
自分が大きなひとつになっていくごとに自己肯定感が高まってきている感じがある。
と書くと、私は生きづらさを克服したかのように見えるけど、そんなことはなくて
玉ねぎの皮をめくるように、次から次へと目の前に課題は出てくる。
それを繰り返しやっている状態。
難しく遠い道のりだけど、こんなにやりがいのあることはないと思っている。
私はこれからも続けていくつもり。
新たな出会いはもう必要ない。あったらあったでそれは嬉しいけど、積極的にはいらない。
これからは、今ある人間関係を確固たるものにしていけたらと思う。