私自身のこと
子供が、学校に行くという意思表示を出すと
持っていた不安がなくなって
いい意味で全部がどうでもよくなり、浮かれてしまいます。
ほんとうに良かった!
これでもう大丈夫なんだ!
とその時は安心感でいっぱいになります。
そして翌朝になり、やっぱり行かない
となると、裏切られたという気持ちでいっぱいになり、怒りがでるか、諦めになるかの
どちらかに方向にいきます。
どうして子供は、そのような行動をとったのだろうという見方をしていなくて
だからこそ
自分で、気持ちを上げ下げして
そこにはまりこんでいるんじゃないかなと
疑問が湧くようになりました。
前々から、ちょっとずつですが
頭をかすめるのは父親のこと。
お酒に溺れ、入院し
完全にアルコールが抜けたあとは
家族の前で
お酒はもうやめる
ちゃんと働く、○○(私)の為に
もう大丈夫、信じてくれ
声に張りもあり、目もしっかりしている
何より、私の為だと言ってくれている
ああ、ほんとうに改心してくれたんだと
すごい嬉しかったです。
何度繰り返されても、その度に同じように思っていました。
父親の改心した言葉を聞くと
それまでの迷惑なんてどうでもよくなり
もう大丈夫なんだ、と
それも今思うと、浮かれた気持ちでいっぱいにしておけば、不安を感じなくてすんだからかもしれないですが。
どう見ても怪しいと分かる時もあった
でも父親の宣言した言葉だけを信じていれば
私は浮かれた気持ちのままでいられます。
そして、お酒を飲んでいる決定打を見て
裏切られた、となり脱力。
当時は、そこで怒りは出ませんでした。
記憶にあるかぎり、脱力。
感じる気持ちは出てきません。