アダルトチルドレンサバイバー備忘録

一般人の中に紛れ込む病み(闇)人。主にメンタルのことを好き勝手に徒然と書いています。自分の為に、家族の為に、ずっと自分自身のカウンセリングを続けています。

子ども時代の喪失感

父親と母親のどちらに対しての喪失感が、今に至る私に大きな影響を与えているのか、いまだに自分ではっきりとわからない。

 

母親が死んだ悲しみは、そのことを思い浮かべると胸が締め付けられ頭が痛くなり、出来れば考えたくないくらい嫌な気持ちになる

 

でも、もしかしたら

 

大好きだった父親が、私の悲しみを受け入れてサポートしてくれたら、まだ耐えられたのではなかったかという気もする。

 

父親に対する怒りや悲しみが、自分の中でボヤけたままでいて、ハッキリと感じとることができない。

まだまだ、たくましかった頃の父親にすがって現実を見れないままでいたい自分でいる。

 

 

母親が亡くなり、しばらくしてから私は学校へ行かなくなった。

いろんなことが付いていけなくなった。

日々の準備するものができない、友達との会話の中で「お母さん」を感じる時、自分ちと友達との家庭の違いの違和感などが、学校を遠ざけた。

でもそれを父親に話そうとしなかったのは、言ってもむだだったのか、一度話してみて分かってもらえなかったのかは記憶が出てきていない。

 

それでも、友達とおそろいの中綿入りのジャンパーを買ってもらったこと、プールに連れていってもらったことがあったので、おねだりはしていたらしい。

 

おねだりして買ってもらったって心が満たされる訳じゃない。

なんていうか、父親は私を見てる様子が無くなっていった。

 

4年生の時に、学校に行かずに家にいたら、父親が急に帰ってきた。荒い駐車場への停め方で、父親が怒っているのが分かった。

こたつの中に隠れたけど、すぐに見つかり怒鳴ってきた。すごく怖かったことを覚えている。

 

あの時に、嫌なんだ、辛いんだ、お母さんがいないと出来ないことがいっぱいあって、学校行くとそれを感じてしまう、お母さんを思い出すし、よそのうちと違うのがやなんだ

って言えたら良かったのに、怒られてしまったから、学校に行けなかった自分は悪い子なんだと思うしか出来なかった。

 

偉そうに怒鳴っておきながら、しばらくして父親だって仕事にいかなくなったことに対する矛盾もわかず、私は父親の世話もするようになった。

 

そう、今書いていて気付いたのは父親も矛盾していたということ。

それでいて私にお酒を買いに行かせる、借金取りの対応をさせるって、全く私を守っていない。親子が逆転している。

 

最後は、頭もおかしくなり私を鬼と言ってきた。お酒の飲み過ぎや精神が病んで、脳がおかしくなってしまったんだろうと思うんだけど、当時は誰にも言うことができなかった。

話したところで信じてもらえず、人によってはお父さんだって大変なんだと筋違いなことを言われることも想像できたし結局、誰にも分かってもらえないから。

 

だらしなくてどうしようもない父親だった。

何が、

 

あんたのお父さんは、よくやったよ

 

だよ。よくやったのは、私だよ

私を労って欲しかった。あの人はそうやって私が父親の愚痴を言おうとすることを塞いだ。

 

 

最初に、父親と母親のどちらの喪失感から今の生きづらさがきているのか分からない、と書いたが、ここまで書き記してみて、そういうことじゃないなと思い直した。

 

母親を亡くし、父親に見捨てられ、その後お世話になった親類に養護されることなく私は大人になったんだということ。

 

私の喪失感は、積み重なり大きくなっていったんだと思う。

こんな状態で、まっとうに生きる方が無理。

 

父親に見捨てられ、それでもたくましかった頃の父親の幻想にすがりつく自分が今の状態であり、すがりつかないと自分を保てなかったんだろうと思う。

 

しかし、今日書き記しながら父親の矛盾に気付けたことは大きい。

幻想はすぐには無くならないだろうけど、だんだん現実を受け入れられるようになっていくことが出来るよう頭の片隅に置いて、日々自分と向き合い、子どもを見ながら自分と重ねて子どもの辛さや苦しみを想像し、そこからどのように良い方向に進んでいけるかを、私はしていかないといけない。

それは子どものためでもあり、自分のためでもある。