2学期が怖かった
というよりは不安、恐れ
子どもが
学校に行かないかもしれないという
私の不安を感じたくないから
体を疲れさせ、自分のことで
いっぱいいっぱいにしておけば
見なくて済む、という策略があったんじゃなかろうか
元々、人を気にかけるような器はなく
自分のことだけを見ていたいというのが
最近、はっきりしてきた
その人のことを思い、
どうしたらいい方向にいくか、
なんて思案することは、私には負荷が大きく我慢になる
できればしたくないこと
だって、体調が良くなってきた今
ザワザワ感が出てきてる
そして子どもに対する監視が入ってる
それに答えるように、子どもは学校を休む
無理して動いて自分自身を疲れさせるのは
そこに見たくない何かがあるからだと思う
何かに没頭してれば
見たくないことは、見なくて済む
私は、子どもの学校の行きしぶりに
自分の何かを見ている
子ども自身は、見ていない
と、いうこと