アダルトチルドレンサバイバー備忘録

一般人の中に紛れ込む病み(闇)人。主にメンタルのことを好き勝手に徒然と書いています。自分の為に、家族の為に、ずっと自分自身のカウンセリングを続けています。

内側の怒り

2~3年前のこと

話の前後は忘れたが、子どもが友人に対して怒ってるというか、愚痴っていた。

かわいいからいいねって言うけどそうじゃないんだ
女子力を高めるために頑張ってるんだ
メイクしたり、自分にどんな服が似合うかとか、そういうの調べて頑張ってるのに
かわいいでまとめられて、羨ましがられても
自分もやればいいじゃんって思う


そのもっと前は勉強のことを怒って愚痴っていた。

頭がいい、天才肌だと言われても嬉しくない
こっちは勉強して努力してるんだ
私は努力派なんだ
努力を知りもしないで言わないで欲しい


どちらの話を聞いた時も、私は他人事のように聞き共感することはなかった。
それでもかわいいって言ってくれることはいいんじゃない?って筋違いの返事をした可能性もある。
そんなに怒ることか?とも思ってた覚えがある。


今回、子どもの通勤している職場の園児の話になり

きょうだいの真ん中の子は、意志がはっきりして自由そうに見え、親からかまってもらえない、構われる必要がないと思われてるようだ
我慢していることが周りに気づかれにくい

と、とある子のことを対象にして話していたが
自分自身のことを無意識で言ってるのかもと思いながら聴いた。

だとしたら過去の友人たちに対する怒りはうなずける。

あまり手がかからなかった我が子。
幼少期から自立していた。(ように見えた)
困らせることがあまりなかった。

だからあまり手をかけることなく、
いい子だねぇと親戚にも言われ育った。
きょうだい、いとこ間をなんとなくまとめるムードメーカー的な存在に、私をはじめ大人たちは見ていた。
この子に任せとけば安心だという存在だった。

でもその我が子の心の中に
私はこんなに頑張っているのに大人たち、特に母親が自分の頑張りをわかろうとせず表面だけを見ていることに
分かってもらえない寂しさ、残念さ
親が分かろうとしないむなしさ、
きょうだい間の扱いの違い、差別、理不尽
怒りが行き場を失えば
怒りが他者に向くのは当然だろうと思う。

親の私は子どもの気持ちに寄り添うことをせず、自分の世界に浸っており他者に関心がなかった。
一緒に住んでいながら、うるさく言われながらも満たされる感じはなかっただろう。

子どもが本当の気持ちを出すべき相手にだせれるようになれるかは、分からない
無理に出させることもできない

が、

子どもの買い物依存的傾向、汚部屋の件
やめさせようとしてもやめれるものではないこと
子どもなりに埋めたい何かを埋めるべく
必要があってしていることを
私は知っていかないといけない。

そうしないと生きていけない現状。
あの子はそのなかで生きている。

私がそうしてきたように、あの子も必死で生きてきている。
いろんな感情に蓋をして生きている。

不登校になるはずだ。
それを何で?どうして?と理解出来ずに
分かった振りの親を演じて表面だけして接してきた不登校時代だった。
私はどうして不登校になったのか、本当に分かっていなかった。

いい子過ぎて、他のきょうだいのように
分かりやすいサインを出してこなかった
いや、出せなかったんだ。

表面だけを見て、それなりに社会生活を送れていることに過信をしていたが
自分の中に抱え込んでいるものは、きょうだいの中でいちばん深いかもしれない。


ここでこうして書き出すことで、まだ分かった振りで終わらせてはいけない。

すでに成人して働いている我が子のこころの受け入れを自分がどのようにしていけるか
これから考え続けていくことになる。