アダルトチルドレンサバイバー備忘録

一般人の中に紛れ込む病み(闇)人。主にメンタルのことを好き勝手に徒然と書いています。自分の為に、家族の為に、ずっと自分自身のカウンセリングを続けています。

キャンセルカルチャー

某会長の発言問題でキャンセルカルチャーという言葉を知った

 

この言葉、また言葉の意味することは今の私に刺さる

 

前回の記事でも書いたように、職場でCさんの悪口をよく話していることに

意味があるんだろうかと自分に問いつつも止めないままでいた

 

同僚とお互いに嫌いな人の悪口を言い合える気心しれた関係になれたのは良い

料理の話をしたり、家族の話をしたり、以前よりも距離が近くなってきて

仕事上のコミュニケーションもとりやすくなった

 

日中いっしょにいるので家族よりも対面している時間が長い

嫌な部分が目についた時期もあったが、私も嫌な部分を出していたので、それを過ぎての今がある

しかし日々Cさんの言動に反応し、それをお互いLINEで
あんなことしてるよ、またやってるよ

というところから、悪口大会になるのは無駄ではないかと思い始めている

 

Cさんの矛先がこっちを向いて、

ほらやっぱりとなり、ひどいことをされたとまた悪口大会が始まる

 

私たちは、自分が被害を被らない方向性を考えず

Cさんが矛先を自分たちに向けることを許容しているともいえる

 

被害を被らない方法をしていなくもないが

それは怯えから、Cさんの前の小石を除く方法なので根本ではない

 

相手の善悪をジャッジし、自分が勝者になったかのような気でいる

Cさんが失脚したらって妄想するとすごくうれしい(でもそうなったら自分は困るのが現実)


それこそキャンセルカルチャー

 

 

オンラインゲームをしていると

暴言を吐く人がいて、それに対して

それはいけないことだと過度に正義振りかざす自粛警察も現れる

SNSの炎上もしかり

 

それを冷ややかに眺めていたけど

今回の某会長の記事を読んで、自分もしていることだったと自覚

ネット上は匿名性があるからツッコミやすいだけで、やってることは同じ

 

自分を上に持ちあげて相手をこき下ろし、自分の自己肯定感のなさを埋めている

 

 

子どもたちにもしてきた

失敗したことから学ぶこと、変えていくことを一緒に考えず

ただ間違いを非難し続けてきた

 

子どもたちの自己肯定感はなくて当然

なんでそんなに自分に自信がないんだろうと思う時期もあったが、それは私がそうさせてきたということ

 

 

子どもたちや自分と関わる人たち全員に対して
相手の思いを想像するということがなかなかできない

難しく、どうしても自分の妄想を優先したり、自分の知りうる範囲でしか見ることができない

 

私は未だ過去に生きている

未来をイメージできず、過去の中にいて、現在から離れている

 

すぐに変えれることではなさそうだけど、でも自覚して意識しながら、今の自分の内面をみるようにしていこう