アダルトチルドレンサバイバー備忘録

一般人の中に紛れ込む病み(闇)人。主にメンタルのことを好き勝手に徒然と書いています。自分の為に、家族の為に、ずっと自分自身のカウンセリングを続けています。

長年の友人への自分の見方について

たまにランチをする長い付き合いの友人


コロナになってから会っていなくて
やり取りはLINEのみになった

彼女はLINEで、職場の人間関係の悩みから話す

今日もそれがあり
こんなに人間関係で悩むひとだったかなぁ?と記憶をさかのぼる

昔は、私を引っ張ってくれる人にこちらからはうつっていた
いつも堂々としていて、言いたいことをいい、怯まず前に進むようなイメージだった


パート先の職場に友人の苦手な人が毎回現れ、それが理由で辞めるというのを繰り返す

職場ではニコニコしているそうで、かなり我慢している様子
本来のスパッとした部分を出さずにいるのだから負荷はかかっている

昔から私には優しかったが、冷たく対応する友人もいたり、きょうだいに対しても対戦的だった
きょうだい喧嘩に遭遇したこともあるが、包丁を持ち出しオソロしかった…

私自身も二面性を持ち合わせていたのと、それが良いことだという感覚を持っていたので、人によって態度を変えることに疑問は持たなかった

私だけに優しくしてくれるという、変な優越感の歪んだ受け取りもしていた


友人のお母さんは優しかった
私はその方が好きで、友人がいなくともおばちゃんとおしゃべりをして過ごすこともあった

友人は、きょうだいの批判をし、本人にもダメ出しをキツく言っていた
でも、お母さんに対しては優しかった

今思うとあれは母親を守っていたのなぁと思う
きょうだいから母親を守る


優しかったおばちゃん
でも激しいふたりのきょうだいをみると、おばちゃんの中にも激しさがあったのでは?となる

たまーに、冷ややかな表情で上のきょうだいに話しかけているおばちゃんの姿もあったし、そういう時は私も何となく近づきたくなかった


あれだけ強気だった友人が、人に怯えて職を変えるようになった経緯はわからないが、
友人もずっと生きづらさを抱え続けていたんだろうと思う

あの強気は、自分の弱さを隠すために必要だったり、自分と向き合うことを避けるためだったのかもしれない

何十年も付き合ってきているのに
いちばん密だった学生時代に、私は友人を全然見ていなかった

むしろ私を見てくれ、最優先してくれる人という受動的な付き合いだった

私はいまだに自分から能動的に行動しない
待っている側が多い
それでいて、されたことに喜んだり怒ったり
一喜一憂している
そこに自分の軸はない