先日、久しぶりにひとりでランチをした
かなりぶりだったのでお店に入るのにとてもドキドキと緊張した
入ってみたらお一人様が割りといて
あ、緊張するほどのことでもないのね
って自分のオデコをぺちってしたくなるような感じもありながらパスタを食べた
お孫ちゃんの子守りをして、午後から仕事に出る予定だったので、途中のコンビニでお昼を買うつもりだったけど、
信号待ちで目に入ったファミレスに惹かれ、つい入店してしまった
いろんな会話が聞こえる
仕事の話をしている人
PTAの話をしている人たち
会話のない人たち
目の前の食べ物の話をしている人たち
筋肉の話をしている人たち
葬儀の話もどこからか聞こえてきた
私が家族以外の人と来てなにかを話すとしたら何だろうと考えてみた
一緒にセッションを受けている仲間とメンタルの話
ゲーム仲間とゲームの話もしてみたい
旧友だったら、あんなことあったよねっていう昔話とか楽しそう
ママ友だったり近所の人たちとの付き合いは今ないし、元々お茶をしに行く間柄でもなかったから、これはあり得なくて想像も出来ない
親戚付き合いも薄い
書き出してみて、私は狭い世界で生きているんだなぁと思う
私だけではなく世の中の人たちは、自分のニッチな世界で生きているんだろうと思う
他人からみたら関心のないことでも、当人からしたら生活のほとんどを費やすないようなことだったりするのかも
自分の大切にしている、そのニッチな部分を更に深めたくて、人々はその分野の動画だったりいろんなコンテンツをスマホなどで目にしているんだろうなと、
食べながら人々の会話を聞きながら思った
ニッチとは真逆のことたけど
人とコミュニケーションを取るのに、話の引き出しは多い方が良いと以前からセッションで聞いてきた
以前はそんなの無理って話を拒否する方向だったが、今はそうなんだろうなって思う
出来るかどうかは別として
その引き出しは多い方が楽というか、片寄らずというか、うまく表現できないけど
いろんな自分を知れることにもなり、ひとつの引き出しに片寄りすぎて疲れることも減るのでは?と思うこともある
私は探究心が強くひとつのことにどっぷりとはまりこむので、引き出しは少なくて深い
そうすると他の引き出しに目が行かないし、他の引き出しを持っている人に興味も沸かなくなる
自分の引き出しを深めるのに忙しいから。
それって、人との隔たりが大きく楽しく人と関わることができない自分でもある
そういった意味では、私にとって広く浅くというのがポイントなのかもしれない
また、そのニッチな部分は仕事も同じかなと。
仕事ってニッチを極めたものだと思う
いろんな専門性が世の中を回してくれているようなイメージがある
この頃は、自分で出来ることが収入に繋がるかを考えるようになった
考えるだけで行動に移せてないのだけど…自分のニッチな部分を生かしていくことなんだろうなぁって思う
個人で仕事をするのは、ニッチ分野の人々をいかに惹き付けるかってことなんだろうね