離れてみてから、前の職場での自分を思い返すことがある
いろいろなことに心を揺らされ、もとい自分で揺らし、仕事以外のことに意識を費やし疲れていたなぁと。
今の職場には、トゲをばらまく人はいない
それぞれが仕事に集中している
なので忙しくとも業務ははかどる
といっても、これから感じてくることは出てくるだろうけど、今はまだそこまで至っていない
前の職場は、確かに私が周りに過剰反応していた部分もあるが
周りの人々が醸し出すものは、仕事のやる気を阻害する方向のものが多かった
私自身もそうなっていたし、その状態に甘えきっていた
内側にいる時は、辞めても再就職が…と思ってダラダラと居続けることをしていたけど
そこから出て外側から見てみると、辞めて良かったと100%言い切れる自分がいる
周りに影響されずしっかりとした軸を持っていれば、揺らされることなく自分を保っていられるけど
自分の許容量を把握し、無理だと思ったら辞めることも必要だし、それがわからず
仕事は簡単にやめてはいけない、という囚われの中にいただけだった
やだやだ言いながら、どうしてそんなところに居続けるのかとセッションで言われて
居心地の悪い場所に居続ける自分を自覚しなければ、もっと長く居続けて自分を粗末に扱い、益々壊れていったかもしれない
人間関係においては、出来事のひとつひとつにみんなが大袈裟に反応していたなぁと振り返る
出来事に怒り嘆いて、相手を批判し、責任を自分以外に向けて終わらせていた
どうやったらそうならないかをみんなで話し合ったり、解決するにはどうしたらいいのかを考えるというのがなかったし、私も提案してこなかった
むしろ、自分はこれ以上関わりたくないという気持ちになっていた
特に避けたかったのはAさんとの人間関係
Cさんも苦手だったけど、途中から暴力的な部分は無くなってきた
そこに物足りなさもあったんだろうけど。
私はAさんと時間を過ごすのが苦痛だった
Aさんの人の批判を聞くのがうんざりだった
図々しさに不快を感じていた
出来る人アピールも不快だった
仲が良い時期もあったけど、途中から距離をおいた事で、その事で批判の対象になってしまわないかと気になり続けていた
Aさんの中に誰を見ていたのか
そこを考えてもいい時期にもう来てる
人の批判と図々しさは、母親がしていて
子どもながらにイヤだった自分がいた
でも、わざとらしい自慢を聞く苦痛はどこからなのか…
まだまだ解明には至らないけど。