まだ覚えなければならないことはあり続けるけれど、職場の雰囲気には慣れてきた
家に持ちかえってやることも減り
飛び交う専門用語の意味もわかり始め
点と点だったことが線になってきた
こうなってくると、全体に目がいく余裕も出来て、最初には感じなかった不快が出てくるだろうなと思っていたが
不快を感じるような地雷を踏む人はおらず
職場には音楽も流れ、飲料も自由に飲むことができ、人的にも環境的にもホワイトで
これじゃあ単なる自慢話をしているだけ
不快は感じられそうもない
それなのに私の体は疲れきり、栄養剤を飲んでいないと、帰ってからベッドに倒れこんでしまう
慣れないから、忙しいから、ということで終わりにすることもできるけど
この感覚は以前にもあり、振り帰ると職場環境がその時と似ていることが思い出される
社員の方々は、みんな仕事に前向きで誇りをもち、忙しい時も互いに協力をしあい成し遂げようとする
人当たりもよく、特定の誰かをいじめたりすることもない
あの頃も私は疲れきっていた
一般的な人たちと関わると、自分との違いを見せつけられているように受けとめる時がでてくる
みんな優しい、というかひねくれていない
フラットに言葉を受け取り、そして返すので会話がやわらかい
先日は、学生の時の部活の話をワイワイとしていた
話題を共有できないことに疎外感を膨らませそうになったけど、そもそも私を外そうとして話しているわけでもなく
それは私がバイトにあけくれて、部活動に熱く燃える経験してこなかった自分と違う違和感を逃すためかもしれないとハッとし、疎外感を膨らますことをやめた
仕事中、違和感を埋めようとして、表面上はみんなとあわせようとして、無理をして私の体はすごい力が入ってるんだろうと思う
そんな自分をうっすらとわかりつつあるだけに、惨めさを感じたくなくて逃れたくてゲームというファンタジーな世界に行きたくて夜になると電源をいれてしまう
そして余計、肩や背中が凝ったり睡眠不足を招くというループを作ってしまう
今は、本当のところはわからない
後から振りかえって、あの時はこうだったんだとわかればいい
今も、疲れてベッドに横たわりながらこれを打ち込んでいる
これを投稿し終わったら次は動画をみ始めるかもしれない
やることはあるのにね
一見、寝転がって休息をしているかのようだけど、これも逃しだと自分では思っている
本当に自分をいたわり休息をしたいのなら、スマホを見続けて目を疲れさせるよりも、すぐにでもお風呂に入って疲れをやわらげようとするはず
ここまでしても現実から離れていたい自分
その元を見ていくことも大切だけど、現実から離れる手法が癖になっているのなら、そこを意識してとどまれるよう自分でも努力をしないと。