あなここのカウンセラーさんのおすすめで、星の子をアマプラで見た。
なんとも切なく、重みのある作品だった。
後味は決して悪くないが、良い未来があるようには思えなかった。
今からネタバレを含めて書くのでご了承を。
そもそもが親が周りに助けを求められない状況からのスタート。
生まれたばかりの次女のちひろが、アトピーのような症状を改善するための「特別な水」が宗教に依存するきっかけだったけど、ツルツルの肌だったとしても、いづれ別の理由で宗教にはまりこむ可能性はありそうではあった。
4~5才の長女の前で、次女の体の状態を嘆き泣いている母親。
親の泣き顔をずっと見ながら育った長女の心の闇は、深くなっていくよね。
母親が書いていたちひろ(次女)の育児の10年日記を、中学生になったちひろが絵を書くノートとして使っていることに、親の無意識の意図を感じる。
自分を必死に世話してくれたことが書いてあるノートを見続ければ、親への恩のほかに自分が迷惑をかけてきたんだ、という罪悪感が無意識に植え付けられるし、裏切ることができなくなる。
仲の良いお姉ちゃんが、親に見切りをつけ家出をし、ちひろ(次女)が中学生になるまでに家は貧しくなっている。
立派な新築の一軒家が、平屋の築年数の古い2~3間ほどの借家のような家になっている。
引っ越したという描写はないが、金属の振り子の置物は、その数年間の間、風景は変わっても居間に置き続けてあった。
きっとこれは換金も出来ず寄付することも出来ず、ずっと家に置いてあるんだろう。
ということは、それ以外のものは土地建物を含めて現金化して寄付をしてきたということが推測できる。
そのような生活の中でも、親と共に集会に参加するちひろ。
ところが憧れの学校の先生に、両親の怪しい行動を取っている姿を偶然見られ、今までそれほど感じなくてもやり過ごせてこれた違和感が吹き出してしまう。
ちひろは、初めて恥ずかしさを感じたんじゃないだろうか。
その先生が好きで好きで授業中に似顔絵を書き続け、あげくには卒業式に「楽しい授業をありがとう」というカードを渡す妄想までしている。でも実際には授業を聞かずに絵を描いてるんだから授業を楽しんではいない訳で、ただファンタジーに浸ってしまうくらい好きだったのか、もしくは現実を逃したかったのか。
と同時に、両親と宗教への疑心が強くなってきて、目付きも変わってくる。
しかしある時、憧れの先生がちひろに嫌悪感をむき出した。ちひろの似顔絵書きと家庭の宗教を大声でなじった。
(先生役の岡田くん、めっちゃ意地クソ悪そうな感じが出てた)
自分を否定されたかの表情で、固まり涙ぐむちひろの姿。せっかく感じ始めた違和感なのに、向き合うことなく閉じ込める方向にいくしかない。
その数秒後には、友達に、友達の元彼氏と結婚していいかなどと、軽やかに話しているのだから、考えたくないのかもしれないとさえ思える。
そんな折り、親類がちひろを親と引き剥がし引き取ろうとしてくれるが、ちひろは親元に残ることを選ぶ。
ちひろにとっては、両親の元にいることが最善の選択なんだろうなと、なんとも言えない気持ちになる。
1泊の旅行を兼ねた集会に参加した時も、同年代の子達と行動していたちひろは両親とすれ違いで中々会えず、夜に会場の中を探し回った。
親がいないと不安という気持ちのほか、私がいないと親も不安だろうから姿を見せたいう思いがあるのではないだろうか。
結局、両親と会えることが出来て、夜道を散歩をしながら星空を見に行った。
高台でレジャーシートを敷き、3人で横並びに座り星を眺めながら、両親は姉の話をし始める。
赤ちゃんが生まれたと電話が来たという話を、ちひろに伝えるための散歩だったのだろうが、ここに言葉にならないメッセージを感じる。
長女は遠くに行ってしまった、だからちーちゃん(ちひろ)はそばにずっといてね、というメッセージ。
一般的な感覚の人ならば、もしかしたら
姉が自立して幸せになったのだから、ちひろもこらからは宗教を離れて自由にしていいよ、というメッセージにとることが多いかもしれない。
でもアダルトチルドレンの立場からすると、親の目に見えない要求を感じてしまう。