私は本が好きなのは、小さい頃に兄と母親が口喧嘩をしている声を聞きたくなくて絵本を読むことに逃避していたからじゃないかと思っていた。
本が好きなのは悪いことじゃないけど、そこに没頭していたような読み方を、特に若い頃はしていたので逃避の部分が多いのだろうと受け止めていた。
ここのところ、知人のホームページを作る作業の中で、自分の幼少期がポッと思い出されることがある。
私も兄も日常の中で読書をよくしていた。
そこに本を読んで知識を付けなければという感覚はなく、本を読むことは自分のリラックスできる時間という感覚だったと思う。聞いた事はないけどたぶん兄もそう。
兄が亡くなったあと、ひとり暮らしの部屋を片付けに行った時、本がたくさんあった。
マンガ、小説、HOW TO本、歴史本、グルメ本。
私はといえば、図書館で借りるかキンドルで済ませてしまうので、本棚を圧迫するということはない。いや、普通の人よりは多いかも(笑)
本を読めと言われたことはない。
仕事をから帰ってきて、ビールを飲みながら片手に文庫本を持ち読書しながらの父親の姿を見ていたら、ビールと本は仕事から帰ってきて自分をねぎらうものという見方になる。
本のタイトルや著者の名前をテレビやネット、本屋で目にすると
それが知っているものだったら、その名称にまるわる記憶を思い出す
きょうだいケンカの腹いせに、兄の大切にしている本の背表紙にマジックで線を書き、兄を泣かしてしまい両親にすごく叱られたこと
兄と新刊を奪い合って読み倒したこと
子どもの時、本棚にあった小説の内容がむずかしくて意味わからんと思っていたのに、大人になってからハマりだしたこと
兄の部屋から同じ著者の小説が何冊も出てきて、同じやん…とほほえましくなったこと
いかにもいい思い出ばかりを書いたけど、本は対人コミュ力のない自分が逃げ込める場所でもあった。
人との会話の流れについていけず、人とのかかわりが苦手だけど、本はそうならない。
本は、内容が理解できなかったらその個所に戻って自分が理解できるまで繰り返し読める。待っててもらえるというか、自分のペースで流れをすすめられるというのが自分にとっては居心地よかった。
ジョッキを握る父親の右手
ビールの泡がついている父親の口
文庫本を持っていた父親の左手
父親は私の今の年齢で亡くなった
今、キーボードを打つ自分の手を見て、父親の手に似てると思った
母親の手はもう少ししなやかだった
私の骨格は父親似らしい
ごつごつした骨ばった男性っぽい手だけど、私は自分の手は嫌いじゃない
ちょっと感傷的になってきてしまったので、ここで終わりにしよう