幼稚園の時、新築の家に引っ越しをした
家具は少しずつ揃えていったように思う
ダイニングセットを買った時は、
みんなが台所に集まり、テーブルを触ったり
椅子の座り心地を確認したりして
これにして良かったねって喜んでいた
父親は微笑み、母親は良さをぺらぺらしゃべってた
私と兄は、用もないのに台所に来ては
何をするでもなく、よく座っていた
テーブルの周りをぶつからない程度にぐるぐる走る感じとか
形も色も表面の木目具合や質感、角の丸み
脚のネジのある部分もはっきり浮かぶ
モスグリーンと焦げ茶色が混ざったような
深みのある色の一枚板だった
大人になってからも使ったので、持ち上げた時の重さの感覚も分かる
椅子も同じ
背もたれの方に重心をかけて
ひっくり返らないぎりぎりところで
両手でテーブルの端を掴んでユーラユーラと
前後に揺らして遊んでた
中学生の時、数ヵ月だけだが
自立した父親と二人暮らしをした時に
このダイニングセットが復活した
嬉しかった
このテーブルでご飯を父親と食べた
母親が死んだ後はコタツでご飯を食べていたので
父親と二人でダイニングテーブルで食べたのはこのときだけ
椅子は劣化して、このときに壊れてしまった
そのあと、結婚して子どもが生まれてからも
1~2年だけこのテーブルを使った
子どもたちは、ここで離乳食を食べさせた
まだ手づかみだったので、毎食後
床にこぼしたご飯を拭くためにテーブルの下に潜ると
テーブルの裏面が見え、そこにシールが貼ってあった
たぶん寸法や素材が書いてあったんだろうけど、もう文字が見えなくなってる
でもそのまま貼っておいた
その後、家を建て家具も買い揃えようという話になり
地域の粗大ごみ収集場に自分達で持ち込んで処分したけど、私は本当は捨てたくなく、後ろ髪を引かれながら帰ってきた
家具には大金をかけて、良いものを揃えたけど
ダイニングセットだけは、元だんなさんには内緒にして、私が安物を買った
有名メーカーのレプリカ品
すぐにぐらつきはじめ、こりゃだめだと文句を言い、愛着が持てなかった
昔のダイニングセットがいかに良かったという訴えだったかもしれない
私の大切なダイニングテーブル、
椅子は壊れてしまったので、せめてテーブルだけでも手元に置いておきたかった
でも、その頃は
どれだけダイニングテーブルに思い入れがあったかを伝えられなかったし、自分でも分かっていなかった
残念でならない
と同時に思うことは
家庭が機能してた時もあったということと
大切なものがあったということ
私は、暗い過去だけじゃなかったようだ