アダルトチルドレンサバイバー備忘録

一般人の中に紛れ込む病み(闇)人。主にメンタルのことを好き勝手に徒然と書いています。自分の為に、家族の為に、ずっと自分自身のカウンセリングを続けています。

話すこと、聴くこと、受け止めること、伝えること

最近、少しずつながらオンラインで人と話す機会を持てるようになった

ただ話を聴くというだけのことだが、これが難しい

共感しきれていない自分がいることが分かる

 

相手が話してくれていることに対して、

たとえ共感していなくても聴く姿勢は持っていたい

でも、相手の言葉の中に自分の不快を見つけたり

意識がフッと遠くに離れる時があったりで

自分にとって聴くということは簡単なことではないということを痛感する

 

また某MMOボイスチャットをする機会もあったりで

そこでも感じることがある

 

テキストチャットで持っていた印象と

実際に声を通して通話することで

相手のイメージは全然変わるということ

 

数ある人数としか話していないが

テキストと通話のイメージが一致した人はいなかったように思う

 

私自身も当てはまるが

テキストというのは、考えたり修正しながら打ち込むことができる

でも声を発して話すことは、いったん口から出てしまった言葉は消すことができない

なのでテキストチャットよりは素が出るように思う

 

そして、通話をすることで少しは相手をしれたかなと思いきや

実際に会ってみたら、さらに印象が変わるということもあるかもしれない

 

でも相手と親しくなりたければ会う方がより相手をしれることができると思う

 

結局は、人間関係で相手とコミュニケーションを取りたいのなら、

実際に顔を見て、一緒に何かを経験して、笑いあったり時には思ったことを言い合ったり

そうすることが必要なんだろうなって思う

家庭できょうだいげんかをしたり

学校の集団生活でいろんな人とのコミュニケーションをとることって大事なんだなって

そういう中で人との関りを学んで成長するんだ

 

私は、文章を書くことが好きだ

なのでこうやってブログを書くことはあまり苦痛ではない

しかし、これは現実の自分と剥離することでもある

実際の私は、文章で表現しているような人間ではないかもしれない

文章だけなら、かっこよくまとめることができるけど

現実社会では、グダグダな自分だと思っている

 


やりがいはあるけど、本当に難しい

相手を知り、相手を思い、そのうえで相手の自立を妨げず、よさりかかることをしない

 

周りを見て、みんなで楽しく過ごせるような雰囲気を

やってあげてます感を出すのではなく、自然に、自分自身が望んでやっていく

きっと一般の家庭ではそれがあるのだろう

残念ながら私はそういう家庭では生活してこれなかった

 

中学生の頃、どうして私は周りに溶け込めないのだろうと思っていた

感情封鎖していたので、ただ思ってるだけで

それで落ち込むとか改善させたいとか、そういうことはなかったけど

周りとの違いは感じていたってこと

 

愛情が欲しかった

今ならわかる

愛情いっぱいに育ってきた人がうらやましい

愛は大切なものだと思う

 

 

今の自分にできることは

テキストとリアルで離れていこうとしている自分を近づけること

人と話していくこと

自分を表現していくこと

口を使って言葉を発していくこと

 

それらが自分を愛することになるのかなと思う

自分を愛せれば他の人にも、特に我が子を暖かくも厳しくもある、

その子を思う目でみられるようになる…と願いたい