自分の思考が偏っていることを改めて感じる。
良くなりたい → 良くならなければ楽になれない
結局ゼロ百思考。
遠い昔、死にたい時期が長くあった。
死にたいというより、生きていたくない。
生きていても辛いだけだから死にたい、そんな感じ。
その時私をとどまらせたものは
今、面倒を見てくれている伯母が悲しむ
亡くなった両親が悲しむ
それって相手主体で自分主体の考えではないから、今治そうとしていることとは相反する思考。
伯母が悲しまないために死を諦める
両親が悲しまないために死を諦める
結果オーライで今生きている。
ってことは時と場合によって、すべてを自分主体の考えにすることがいいわけじゃないんだよね。
その「時と場合」の柔軟な判断がまだ分かりづらい。
心理の先生がよく言う
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「出来てもいいし、出来なくてもいい」
「どれが正解かはわからないし、反対にどれが間違いとも言えない」
っということだね。
これ以上考えると脳みそが絡まっちゃうから、今日はこのくらいにしとこうか。