今を生きていく
というブログタイトルを付けたのは、今を生きたかったから
でも当時は「今」が何なのかわかっていなかった
分からないから、それを感じてみたいという願いから付けたタイトルだったんだろうと思う。
現在はどうかというと
相変わらず、今を生きていないが
今を感じる時が出てきた。それはたのしくもあるしきつい時もある。
キツい時は、仮想の何かに逃げて没頭するし、それが分かっていながらもやめられずにいる。
でもどうあがいたって、私は現実に生きている。
意識が仮想に言っていたとしても、肉体があって生活をしているのは現実の今。
なんか、哲学っぽい書き方になってしまったけど、まあいいや。
先日、長い付き合いの友人が遊びに来てくれた。
長い付き合いといっても、実際にあったのは数回しかない。
それでもいろんなことを共有してきているから、お互いのことは地元の友人よりも話してきている。
数年ぶりに対面して会話をして、分からなかったことが分かってくる。
実際に会って、五感で触れ合って分かることがあるんだと思った。
きっと、快・不快はお互いに感じている、でもそれでいいんだと思った。
人と触れ合いコミュニケーションを取るって、大切なことなんだなって思った。
こういう場を設けてくれた師匠たちに感謝。
そして、対面してコミュニケーションをする方が相手が見れると浮足立って勘違いしてしまった私に、そうではなくて、電話でもなんでも声だけでも相手を見ることはできる、それを自分側がしていないだけだと冷静な意見をくれたことで、自分の物足りなさを知ることができた。
私はこれから自活し始めた子どもたちを眺め、時には方向性を導くお手伝いをしていかないといけない。
その中で、自分が子供たちにしてきたひどいことを味わうことになる。想像したくないけど、子どもたちを見ようと思えば必ずそうなる。
逃げたいし、その逃げ場所の中で陶酔し続けたい。または何かに没頭し続けたい。
私は年老いて死んでいく。
でも子供たちは人生これから。自分でどうしたいのか、何をするかを選択しないといけない。自分で選ばないといけない。
葛藤しながら、逃げつつ戻りつつ、今やるべきことを選択する日々。